京王電気軌道を探してみる その1
「探してみる」とは書いていますが、実際は散歩?放浪?の途中で発見できたらいいなぁみたいな感じでわざわざ探しているわけではありません。
今回は八王子市内で京王電気軌道時代の物と思われる境界杭を見つけました。鉄道用地との境界付近なので同社の物とみて間違いはないと思います。
天頂に王〇京とあります。真ん中の〇は境界点の印で、王京は京王を右横書きにしたものと思われます。この杭が設置されたおおよその年を考えるには、この右横書きがポイントとなります。
大正時代後期頃から戦中にかけて横書きをするばあいに、それを右から読むように書くか、現代のように左から読むように書くかがなんとなく?統一されていませんでした。
統一した方が良いというのは万人の意見でもあり、昭和17年には国語審議会が「左から!」という答申を文部大臣にしており、これで閣議決定かと思いきや前年に開戦している状況下では「左からは欧米化になる!」との一部勢力からの反対意見で閣議決定は見送りに・・・。
結局、終戦後なんとなく流れで左からに統一されていったそうです。
現在の京王電鉄が京王電気軌道の社名で八王子市内で鉄道を運行したのは大正15年12月1日から昭和19年5月31日の期間になりますので、この杭の右横書きの「王京」が京王電気軌道時代に設置されたのでは?という証拠になるのではないかという毎度の妄想であります。
しかし本当にこの期間内に設置された物だとしたら短く見積もってもこの地に80年は埋まっていることになり、八王子空襲にもあったことになります。お役目ご苦労様です・・・。
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こちらは山田駅~めじろ台駅間にある京王帝都電鉄(昭和23年6月1日~平成10年6月30日)時代の境界杭。この京王帝都時代の境界杭は社名・社紋が変わった現在でも京王電鉄沿線各地で見られます。
この画像の場所は廃線となった御陵線(昭和20年1月運行休止、昭和39年11月廃止)と現在の高尾線との分かれ目の場所(位置的に)になりますが、この線路の下をくぐる道路は国土地理院の航空写真で辿ると、まだ御陵線の線路跡が残る昭和33年から36年の間に造られたことがわかります。
高尾線は昭和42年10月開通で昭和40年には工事を開始していますので、御陵線時代も現在もこの地の線路の路盤の高さはおおよそ変わっていないものと推測できます。
これは山田駅近くの境界杭。京王帝都の社紋をセメントで埋めて天頂に八王子市のプレートを取り付けています。この杭と線路の間に細い道路があり、杭より線路の反対側は私有地と思われますので、この道路はもともと京王の土地だったのを八王子市が買い上げたのではないかと推測できます。