上記ブログ記事「京王電気軌道御陵線の廃線跡をたどる その1」から約2年半が経過しました。御陵線跡は公私共に自分の行動エリアの、ど真ん中にあたるので廃線跡の変貌は気にかけていたのですが、今年の春頃から動きがあったので記事にします。
変化があったのは国道20号線並木町交差点前から南浅川までの築堤区間のうちの南浅川側約三分の一区間になります。下記航空写真の水色で囲んだ場所が当該の場所で、民家?・月極駐車場・コインパーキングが同居していましたが、この度全て壊し更地になりました。

出典:国土地理院航空写真 CKT20191-C83-28 令和元年10月撮影(画像の一部を拡大して使用)
画像中の赤い線は元鉄道用地の中心線、赤い丸は御陵線の有名な橋脚付近で青い丸は並木町交番です。
黄色印のAとBの場所に御陵線の築堤端面に造られたコンクリート壁を壊したと思われる残骸が足元に残っていましたが、この度根こそぎ撤去されました。
いろいろな方のブログなどの記事ではAの残骸が遺構と紹介されていますが、御陵線は全線複線分の用地を確保して線路を敷いていたし、築堤の根元ということは築堤は一般的には台形で下の方が幅が広いので、このAの遺構の幅だけでは到底短すぎます。
地図上に引いた鉄道用地の中心線から見ると、Aの東側端面あたりが中心に見えるので、ここより東側にコンクリート壁が続いていたのではと考えます。

2021年撮影 今は無き遺構

同じく2021年撮影

同じく2021年撮影
舗装された駐車場の出入り口を挟んで東側の足元を見るとなにかコンクリートを壊したような跡Bがあります。しかし現地で見ると(今は両方ありません)AとBの位置関係がへの字になっていて直線で結べません。Bが新しそうに見えるので御陵線とは関係のない物のような気もしますが、そもそも実は両方とも御陵線の物でないということもありえるし真相はわかりません。

2024年10月上旬撤去開始

撤去作業中。Aのコンクリート壁がかなり深くまであったのでしょうか、土を重機の高さの半分くらいまで掘り下げ、そこに重機を入れて撤去作業をしていました。

2024年10月中旬、きれいさっぱり無くなりました。
もう無くなってしまったものを研究?しても仕方ないのですが、なにかの参考になればと・・。
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無くなるものあれば新しい発見あり。並木町交番前国道20号線を渡った向かいに、電車が走っていた当時の物と思われる境界杭を発見!。


右横書きで「王 京」と読めます。右横書きはおおよそ終戦頃から徐々に消滅しているようですし、昭和19年5月には京王電気軌道は陸上交通事業調整法により東京急行電鉄に統合され同社京王営業局になりましたのでそれ以前の物と思われます。
御陵線の工事を開始した昭和5年に埋められた物なら、あと数年で一世紀ここで時の移ろいを見てきたことになります。